今日で長いお休みも終わり。
9月に取ろうと思ってた遅い夏休みが更に遅れ、先週から約一週間の長期休暇でした。
Uは休みじゃないし、私も試験が近いから最後のツメをやんなきゃって事で、
どこに旅行に行くわけでもなく、活動範囲を自宅からそう遠くないとこにとどめ、
半ばおこもりの、長いようであっという間のお休みでした。
その間、仕事する彼女の横で家を掃除したり、ゴロゴロしたり、一ヶ月以上開いてなかったPCをやっと開き・・勉強はあんまり進んでないな。模試ではまだB判定。
そこに関してはあんまり休んだ甲斐がなかったかも?
まあでもなんとかなるさ。
この一ヶ月半、
色々な事がありました。
二人の子どもとして可愛がっていた愛娘のウサギが8歳を迎える少し前に急逝しました。
夏バテで食欲ないのかな?ちょっと元気ないな・・と思っていたところ、病院に連れて行ったらもう手の施しようがないもって半年、と言われ。
急にそんな事言われて、信じられないという思い、誰に対してでもない怒り。
とりあえずその日のうちに呼吸が苦しくないように酸素ボックスをレンタル。
酸素ボックスは料金日割りだし、病院代もかかるし、こりゃ二人で頑張ってしっかり稼がないとね・・
それでも一日でも長くいてくれたらそれでいい、なんて二人で話し合っていたのだけど。
たった9日間の闘病でした。
もう少し長くいてくれると思っていたのに。
昨日まで料理するUの背後にゲージから出て寄ってきて、野菜のおこぼれをねだっていたかわいい姿が、
たった9日間の間にみるみる、朝と夜ではまったく違うほどに変わっていく様子は本当に酷でした。
もう今晩がヤマかもしれないと思えば、少し持ち直してまだ回復してくれるかもしれないと思う瞬間もあり、
短期間の間に何度も決断を迫られ、迷い、泣くのをこらえ今できる事を二人で話し合って。
病院に行くのも体力消耗するだけと言われ行くかもうやめるかを決め、
酸素ボックスから自分のおうちに帰りたがったのでボックスから出すか出さないかを決め、
点滴と強制給餌をどうするかムリにでもするべきかを一日に何度も話し合い。
自宅で点滴するようにと渡された注射器と薬液。
やり方は教わっても手が震える。
変なとこに入ったらどうしよう。
うまくいかず痛がって声をあげさせてしまった時はもうダメだ、と涙ぐんだ。
ゴハンを食べてくれなくなって、流動食も水も口の横から溢れてしまった時は、様子を見て何度もトライして、それでもダメで、何をあげたら少しでも食べてくれるか二人で話し合い、迷い。
あまりに短くて、
あまりに慌ただしく展開が早過ぎて。
仕事を抜けて様子を見に帰ったり、病院に連れて行くために仕事を休んだり、ゲージの前に二人枕を並べて寝て睡眠不足。
まだ8月で涼しくするためエアコンガンガンかけて人間の方も温度差で体調崩しながら厚着してそばにいて。
最期の2日間は酸素ボックスから自分のおうちに帰っていつもの定位置で横になって過ごし、
前の晩はうつらうつらと半分寝て、もうムリにお水も流動食もあげず、怖いくらい穏やかな時間を過ごして・・。
翌朝、私が出勤する前に容体が急変。
たぶん、ほんの数分の出来事。
安らかな最期ではなくて・・だからこそ二人でそばにいれて良かった。
二人一緒にいる時に看取ることができて良かった。
私達どちらか一人だったら発狂してたかもしれない。
まだ8月だったから亡くなった状態では一晩位しかもたないと言われ、
明日か明後日に火葬してくれるとこを慌てて探し、埋葬についての決断を迫られ、また仕事を休む手配もし。
葬儀とかそういうのは、薄々考えなきゃと思ってても本人が頑張ってる間は全然具体的に調べたりなんかしてないし。
悲しみにくれる間もなくというのは本当だな・・と思いながらなんとかお骨あげをこなし。
埋葬は最初、瀬戸内にある大久野島(野生のウサギが沢山いる別名ウサギ島)に散骨しようと思ったけれど、
行ってみてやはりできず。
帰りに尾道に寄って、小さな骨壷を小脇に抱えて三人での初めての旅。
いつも旅行中はペットホテルに預けてたからね。
そして今、小さな骨壷がうちにあります。
埋葬はどうするかまだ決められないし、すぐに決めなきゃいけない訳でもなくなったから、今はまだこのままでいいかな、と。
そして、もうすぐ四十九日を迎えようとしています。
この連休、最初にした事は、
ダイニングテーブルの上にずっとあったお骨を、ちょっと物を整理してちゃんと定位置を作ってうつした事。
勉強や仕事をするために買ったテーブル、ずっと使えなかったからね。
そして、最初に余命宣告された日から亡くなってからも毎日ずっと書き続けていた覚書。
闘病の様子・進展から、私達の気持ちの変化まで記録しておきたくて書いていたのだけど、
それを書くのをやめました、この連休で。
ずっと泣くのをガマンしてたのを解禁したのは、亡くなってから。
毎日毎日、二人でこれをしては泣いて、あれを見ては泣いて。
悲しみの日々、泣いてばかりの日々。
Uなんて台所で野菜を切るたび泣いてた。
私達より短い命なのだとわかっていたはずなのに、実際に二人の子どもがいなくなった時、正気ではいられなかった。
一体あの子の魂はどこに行ったのか、肉体は地上から無くなった。でも確かにそこにいて生きてたのに魂が煙のように消えてしまうなんてどう考えてもおかしい、考えてもわからないと自問自答したり、
どうしたら生き返るのか真剣に思い詰めたり。
いつまであの子がいるような気配を感じていたのか、
いつから、今は何もないゲージのあった場所を見て、ああもういないんだ、と受け入れ始めたのか、
写真を見ても泣かなくなったのか、
あの子に似た新しい子を探してはやはりダメだと落ち込んでみたり、
惰性で仕事をこなしなんだか現実が現実でないような日が続いて。
記録しておきたくて書いていたのだけど考えてみれば悪趣味なのかな。
それはまだ読み返す事もできないししばらく封印。
今日出がけに、
「うぴょ、行ってくるね」
と言った時、応じるような気配が感じられなくて、
ああもう本当にいないんだ、と思ったのは冬用のラグに衣替えして部屋の景色が少し変わったせいかもしれない。
季節は秋を飛び越えて冬になろうとしているようにすら感じる。
自分が喪主として誰かを見送った事はまだない。
私達二人とも沢山の事を初めて体験した。初七日の意味も四十九日の意味も初めて調べた。
そして、パートナーを看護・介護する時の事や死ぬ時の事も想像した。
私が沈んでほうけていた時、ウサギ如きで・・と言う人がいた。
瀕死の状態を連れて祈りながらタクシーで病院に向かう時でさえ
「ウサギは知能が低いから人に慣れないでしょ?」「犬猫はわかるけど…ウサギは子供の頃山で獲って食べた記憶しかない(笑)」
と話しかけてきた運転手に悪意なく言われ。お願いだから黙っていて、と心の中で呪う。ペットの中でもウサギはマイノリティらしい。
Uを失う時には、親戚(私は従姉妹と同居してる事になっている)が亡くなったくらいで・・と言われるのだろうな、
とボンヤリ考えた。
そうだね、何度も仕事を休んだりする事も、いつまでも悲しみを引きずる理由も、きっとわかってはもらえない。
私が先に死ぬから看取ってよね~!なんて今は言えない。残された方が辛すぎる。なんとか同時に一緒に死ねないものか、なんて話したりする。
とりあえず私達、虹の橋であの子に再会するにはまだまだ長い時間を共に生きなくてはならなそうだ。
それは気が遠くなるほど遠く長い・・嫌だ!いつか会えるのなら今すぐ会いたいよ!とたまらず号泣した日もあった。
「私達は乗り越えられる、大丈夫!」
そう何度もあの子がまだいるうちから手を握って、抱き合って、何度も繰り返した。
また辛くてたまらなくなったら、この言葉を二人で唱えるんだ。
今日までの間にUの誕生日があったり、新しくボランティアをする事を決めたり、風邪もひいたり、
色々あったけどブログはなかなか書けなくて。
でもやっとPCを開く事も出来たし、
試験も迫ってるし、
明日からまた会社(すっごい気が重い~)だし。
大丈夫、辛くても二人の呪文があるから。私達はまだ生きていかなきゃならない。
そして、連休は終わり。
明日からまた、頑張れますように。
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コメント
No title
こうやって文字を記されていることに少し安心をしたり。
ご冥福をお祈りします。
Re: No title
この事については覚書は残してたけど、ちゃんとした文章にはずっと出来なかったのよね。
いっそ書かないままにしようかと思ったり。
でも死や病気について真剣に向き合って考えた機会でもあったので残しておこうかと。
確かに、言葉や文字にできるようになったというのは、少しは客観的に見られるようになったという事かしら。
まあ、また飲みに行こう〜!お酒が美味しい季節にもなってきたしね。
「娘は幸せだった」と、つぐうみさんが胸を張れるのなら心やすし。安らかに。
Re: タイトルなし
他のうさ飼いのお友達からもあたたかいお言葉いただいて励まされています。
家族として迎えた初めての子だったので、ことさら引きずってしまってると思うんですが…
でも、ちょっとずつ進んでいきたいと思います( ´ω` #)